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父親、2度目の入院。

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 「見守りカメラ」の設置と設定を終えて、母親と昼食をとりにいった。東京に来たことは覚えていない。ハンバーグが食べたいというので、少し遠出した。母親が東京に居た9日間に起こったこと、弟が叔父の遺産の件をどうなったのか聞いてきたこと。孫の存在があるからいいんじゃないかといったこと(これまでの母親の負担をそんな風に思っていること)。2人を東京に連れていけないと言ったとたんに弟の長女の大学進学が無くなったこと。マンションを売って、2人が居なくなった自宅に住もうとしていたこと。今、周りに誰も母親のことを心配している人間がいないこと。弟嫁が母親を「あれ」呼ばわりしていたことだけは言えなかった。しゃべったことにはきちんと反応してくれるが、その場で忘れてしまうようだ。ただ、母親は自分がどれだけ弟の子供を預けられて苦労したか、負担をしたか、最近めっきりだれも来てくれなくなったこと、弟嫁が来るとものすごく嫌な気持ちになること、色々な話をすることができた。

 昼食の帰り道、母親が唐突にこう聞いてきた。
「ねぇ、国は私みたいになった人をどこかに収容したりするの?」

やっぱり施設に行くことを恐れていたのだ。と確信する一方で、これは父親が母親にそういうことを言っている(日常的に)に違いないと確信した。母親が何らかのきっかけで父親が他人であると言い出し始末に負えない状態になった時、そう言って黙らせるのであろう。

「入れてくれって言ったって今のおふくろさんは入れないよ」
と、答えるとほっとしたように笑顔が戻った。
「親族がいるんだから、そんなことは必要ないよ。安心して」
とも話した。
 いつもは2人で盆や正月の買い物に行くショッピングセンターに行った。いつからだろう、私が早足で歩くと母親がついてこれなくなったのは。ふと振り返ると、母親が片足を少し引きずりながら走るような、歩くような、スキップのように必死で私を追いかけている姿が目に入った。涙が止まらなかった。老いは覚悟していた。離れているのも覚悟していた。でも、薬も飲ませてもらえない、お金も持っていない、携帯も見つからない、そんな母親が不憫でならなかった。
 夕飯は、母親の大好物であるすき焼きにした。とびっきり高い卵とわりした、肉、1か月分を蓄えることができれば安心して東京に戻れるのに。明後日月曜日からはまた弟が1週間実家から通うことになっている。ただ、弟も飲食業で深夜の帰宅になる。一人っきりでいるよりは安心できるのだが。

 明日の朝に食べるからと、すき焼き鍋をコンロに戻す。みるとティッシュや牛肉の入っていたパックが鍋に入れられていた。そっと片づけて鍋に蓋をした。
明日の16時には実家を出なければならない。トイレの掃除と灯油の補給。ミカンやバナナなど「食べるものが何もない」状態にならないよう可能な限りメモをして眠りに落ちた。

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by groupf | 2020-02-12 19:05 | Trackback | Comments(0)

母親の認知症を取り巻く家族の記録。


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