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もう12月

あっと言う間に今年もあと1ヶ月。何もなく平和で、帰省すれば両親が迎えてくれたこの18年。酒を飲んで、父親とは色々な事を話した。

父親の悩みもここ数年は聞いてきた。老老介護の手助けを、なぜ近くにいる家族ができなかったのか未だに理解できない。いつも人のせい、能動的だから何も明らかな結果を出さない。

ただ、だからといって最後の数ヶ月を除いては出来る限りの事をしてきたから私は悔いはない。父親が息を引き取るまで色々なことを話す事ができた。

両親が守ってきたものは父親の親戚が教えてくれて鮮明になった。もう父親の兄弟はほぼないない。私が幼少の頃、かつての実家に集まって色々な事を教えていただいた沢山の父親の親戚。東京暮らしが長くて忘れていた事を次々と思い出す事ができた。

終戦記念日の特番を見て皆んなが泣いていた。酔って父親に怒り飛ばされる姿も見た。何が起こっているのかは当時知る由も無かったが、サラミソーセージやバターあられをつまみ食いするのが楽しみだった。

それを陰で支えてきて、皆んなに愛されてきた母親。父方のその頃からのつながりと様々なことを知らなければ、両親が何を守って来たかはわからないだろう。

もし今年の9月の終わり、コロナで面会はもちろん、万が一の際に看取れないことも覚悟していた矢先、あの日私が父親に奇跡的に面会できていなかったら、両親が守ってきた全ての事が途絶えていただろう。

今思えば、本当に日程的にも内容的にもギリギリの選択だった。不幸なことに、頼りにするしかない地元に居る弟の家族の誰ひとり無償の愛情を持って、少しの犠牲と気を利かして、両親に接していなかったからだ。

そうでなければ、父親が倒れた日から限度額を毎日引き出す理由もないし、母親は父親と同等の安全で安心な暮らしをしていた筈だ。父親が入院する度に母親関係でなんらかのトラブルが起こる。当たり前の話だ。

「お父さんが退院するまでうちに泊まれば?」で済んだ話だ。泊まるのが無理なら食事だけでも一緒にすれば良い。何故できなかったのかは知る由もないが、母親を拒む理由もないだろう。

いつも近くにいるから大変だ、離れている我々にはわからないのだ、と勝手に決めつけたバカ嫁は何もかも人のせいにして何を守ろうとしていたのか?

周りの犠牲や嫌な気持ちはお構いなしか?通夜の席で弟を問いただしたが、言い訳しかなく謝罪の言葉はついに最後まで無かった。そして電話にも出なくなった。使い込みは「すべて自分の判断でやった」と話していたが、もうじきそれが本当かどうか明らかになるだろう。誰が入れ知恵したのか?そして父親が退院しそうになると入金、入院すると引き出し、そして残高はどんどん減っていく。

弁護士からの法律上正しい金額を弁済できないのであれば、早めに地元を離れたほうがいい。

弟の使い込みや親が亡くなったというのにあり得ない行動、態度、母親をいとも簡単に見捨てた事は、すでに沢山の人が知っていて怒りを買い、話題になっている。皆冷ややかな目で弟家族を見ている。言い訳しようとも誰も信じない。

母親が心配で仕方なかった父親のサポートもせず、父親が亡くなった事も知らず、バカ嫁はズカズカと挨拶もなく通夜に来て挨拶もなく帰って行った。

皆が思った、そんな状態の葬式で父親が気の毒だと。何が気に入らないのか?香典も無しで全てが終わったら今度は父親の預金の額を行政書士さんに聞いてくる。誰が手続をしたと思っているのだろうか?誰が後始末をしていると?

そんな常識のかけらもない弟家族とは早々に縁を切りたい。そもそも付き合いをする気も無かったので良い機会だ。間違いなくこれから訴訟になれば費用も時間もかかるから、生活は崩壊する。因果応報がすぐそこまで来ている。これまで楽した分、母親が地獄のような孤独な生活を送った分、しっかりと報いればいい。

我々は、母親と新しい生活をすでに始めているのだから一切関わらないで欲しい。


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by groupf | 2020-12-01 23:41 | 日記 | Trackback | Comments(0)

遠距離から実家の両親への恩を思う家族の記録。


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