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狭窄症

父親が狭窄症を発症してから、いつもの焼き鳥屋に行くまでそれこそ10メートル毎に座らなければ歩けなくなった。

その頃私は実家から仕事に通っていて、約3年間毎日両親と会話をし、週末には出かけていた。

博多に行った時には突然足が痺れて倒れるように崩れ落ちたことがあった。

「そろそろ車椅子やな」「バカ言うなや」と会話をした。

初めて父親の車椅子を押したのは近くの公園にある植物園。レンタルの車椅子を借りた。私も父親も初めての経験であり、父親は気恥ずかしそうに、私は何ともで涙ぐみながら車椅子を押した。

父親は何も言わなかったが、子供がゴーカートから降りるように立ち上がると「まぁええもんやの」と笑った。

私は車椅子のある観光地をたくさん調べて、極力無理をして歩かなくとも良い整備されている観光地やレストランを探して連れて行った。

どこに行っても周りの皆様が本当に親切に介助してくださった。意地っ張りの父親は時折機嫌が悪くなる事はあったが、段々と慣れていった。

「車椅子、買おうか?」私にとっては大変勇気のいる申し出であったが、「頼むわ」とあっさり。新しいもの好きな父親は、「新車」の車椅子で庭に出て新しい経験を始める覚悟をした。

それから、透析や、母親の認知症、両親の喧嘩の仲裁、本当に波瀾万丈な3年間であった。ほぼ実家の問題にかかりっきりであった。何度会社を休んで帰省したかわからない。

今思えば、父親自身が焦っていて母親のために何をどうすれば良いのか答えが出せない時期だったと思う。イライラしているのが色んな事から感じられた。その度に帰省して、引きこもり生活をするしかない両親を外に連れ出した。

買い物に行くことができるように乗り込みやすい車に変えた。そのうち、自力で車に乗れなくなった。父親は入院するタイミングで免許を返納した。

信じられないが、そのタイミングで弟が車を売却した、長女の車を買うという。父親は「この車はええ、色もええし形がええ、かわいい」と毎日眺めていた。父親が少しでも安全に使えるようにとわたしが整備したものはどこに行ったのか?挙句に「スタッドレスはどこにある?」と空気の読めない弟とディーラーからの電話。
本当に弟はセコいし腐ってると思った。

色々と手を回して、弟家族へは一切の売却金が渡らないよう(当たり前のことだが)にして、少し手出しをして、父親の車椅子を乗せられるウィンチ付きの福祉車両を購入した。

弟家族からしてみれば寝耳に水、あてにしていたものがゼロになり怒り心頭だった?のかもしれないが。そもそもの所を考える脳みそも回路もないのだろう。1円も出さずに勝手に父親の車を売って、長女の車を買うなどと「夢物語」が本当に実現すると思っていたのだろうか?

なぜ、その思考回路が両親への恩返しに使えないのだ??貰うのではなく今度は両親に与える金銭的な余裕がないのか?

まぁ、他人の暮らしに口を挟む気もないからどうでも良いが、今思えば車を売って云々と言い出した去年からの3月ころから何か良からぬ事が動き出していたのだろう。

それはしっかりと、父親の通帳に記録されている。父親の無念は私がキッチリと晴らす。

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by groupf | 2021-03-06 22:48 | 回想 | Trackback | Comments(0)

遠距離から実家の両親への恩を思う家族の記録。


by groupf
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