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子供が独立して

息子を東京に残して、少しずつ2拠点生活を始めた。両親が子供が独立して一安心した頃と同じ状況だ。

両親は、父親が定年してから夫婦水入らずの生活。どうだったのだろうかと想像してみる。

若い頃は散々両親に迷惑をかけたし訳の分からない事も言った。それでも変わる事なく受け入れてくれた、思い出すのも恥ずかしい。

ただ、「良い子」で両親から巣立って行っていたら、もしかすると東京での生活を最優先していて、我々がこれまでしてきたように年3回の帰省もできなかったと思う。東京に家でも建てていたら尚更だ。

私は失敗だらけの人生であったが、両親の子供として、人としてキチンと生きてきた。

弟は一昨年私に言った「うちの子供がおるからかぁさんたちは幸せやったんやないん?その存在は大きいやろ」と。

ろくに子供とのコミュニケーションもできていない弟にそう言われて返す言葉もなかった。そんな会話を夫婦でしていたのかと思うと情けない。

私は、弟家族が母親の面倒を放棄した日から約3週間セキュリティカメラのみが頼りの地獄の生活を送ったことがある。弁当業者さんに無理なお願いをして薬を飲んだ事を確認してもらい、ケアマネさんには休日にも関わらず様子を見に行っていただいた。

徒歩10分の所にいるくせに、何故ここまでするのかとも言いたかったが、いずれにせよいつかこうなる事が起こっていると割り切って対処をした。まさか弟家族も、近い将来父親が居なくなるとは思ってもいなかっただろう。(ATMにはその時期通っていたが(笑)」

人の本音は当然だがわからない。父親が亡くなってから母親は覚醒して自分の人生を毎日過ごしている。

孫や大嫌いなバカ嫁との付き合いを父親から強制されることもなく、毎日健康に過ごしている。それは母親の本当の笑顔を見るたびにそう思う。

「嫌だったのだ」

気が向いた時に、気が向いた時間にワイワイ実家に来て、食い散らかし、父親は嬉しくて仕方なかったかもしれないが、母親は随分前から気づいていたし、我々はいつも母親のグチを聞いていたから手にとるように母親の言いたい事は理解してきた。

父親が倒れてから、弟家族には様々な「計画」があったのだろう。東京にいる我々はコロナの影響でまさか父親と話すこともないだろうと。

事実はそうではない。弟家族が誰一人コロナを良い事に、父親の面会に行かない時期に私は父親と直接会話をして、病院ともしっかり今後について交渉もした。

セキュリティカメラで母親の無事を確認してした際に、たまたま母親の声を聞いた。掃き出しの窓を開けて「だーれも来ゃあせん」そうつぶやいた。

そして、父親に会いに行ったときにも「誰も来やぁせんから何がどうなっとるかぜんぜんわからん」

何故、そのような状況で父親は亡くならなくてはな、なかったのだ?散々孫可愛さに楽しみにして生きてきた父親が大変なときに何をしていたのか?

未だに私は理解できないでいるが、そもそもバカ嫁の話しか聞いていなかったのだから、そもそもあまり思いやりのある関係ではなかったのではないか?そう思う事にした。

我々は年に数回しか両親の姿は見ていないし、バカ嫁に言われれば「そうなんだ」と信じてきた。一応近い親戚と思っていたからだ。

そして今、弟家族の対応を見る限りは全く両親への感謝や愛情は微塵も感じられない。

「あんたがそう言ったからこうした」というのが弟家族の常套手段だ。本当に良い年をして吐き気がする。

もう庇う気も付き合う気もないのでどうでも良いが、そろそろ結審して縁を切りたい。

我々はこれまでもそうだったように、弟家族に依存する必要も頼むこともないのだから。

父親が脳梗塞を発症しているのさえ見抜けなかった関係だったのだから。

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by groupf | 2021-04-21 22:43 | 日記 | Trackback | Comments(0)

遠距離から実家の両親への恩を思う家族の記録。


by groupf
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