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久々ののんびりとした帰省

明日は木曜日。金曜日は今週末の父の一回忌のために休みをいただいたので久々に家族3人での帰省となる。

この3年間、いわゆる「楽しみな帰省」は一度もなかった。ここ2年は両親のいざこざ、弟家族との訴訟、その前の1年は母の認知症が明らかに進んでいる事に気づき、無知な我々はあらゆる事を調べて準備してきた。妻との飛行機での会話は「まだ、なんとかなる」ばかりだった。地元にいないので誰かに頼る事もなく暗いトンネルの中を歩いていた。

あり得ない事に、コロナ禍で父親と満足に会えないまま父親が昨年逝去した。

ギリギリのところで、母は東京には来たくないという。父親が亡くなった事もわからない状態だった。市役所やあらゆる手続をしながら母とじっくり話す時間もなかった。万事休すとはこの事だと思った。

父親の意思の力だろうか?ご縁のある方に頼るしかないとあちこちに相談したが、当たり前のように断られた。

いきなりではなく、偶然でもなく、父親の思いや日々の面倒を見ていただいた看護師さんやケアマネさんから思いがけないご縁をいただいた。父親の死に化粧をしていただきながら看護師さんから聞いた話は一生忘れられないし、母を今後全力で支えていく意識にもつながった。

早いものでもう一年が経った。誠実にご対応いただいている皆様には頭が上がらないし、地元にいる弟家族は特にいらない事が一年かけて証明された(笑)

父親は弟が心配でしかたなかったのだ。単身赴任や職種についていつも私にこぼしていた。「どこか口を聞いちゃってくれんか」と。

下世話な話だが、父親の援助無くして弟家族は引退後田舎とはいえ年金生活ができるのだろうか?とまで言っていた。せめて夫婦で厚生年金をもらってもなお生活できないのが現在問題になっている。

父も、母が専業主婦だったので国民年金での生活はギリギリだと言っていた。

私は、弟家族が父親のカードの家族会員等々当時は細かい事は知らなかったから、まさか50を過ぎて年金生活の父から援助を受けて、その上での「ギリギリ」の生活だったと思うとやりきれない。

父親の思いで「あろう」実家の名義は弟に渡す事にした。弁護士さんから父親が危篤になり「アゴ呼吸」を始めた日時までに回答するようお願いした。

あと2日ある。詫びるところは詫びて、もう直接聞くことのできない父親の意思(私が勝手に判断しただけであるが)弟家族が登記簿まで持ち出して執着していた実家を相続する事にした。

我々は、母の生活と家の維持で両親が実家にいた時と同じくらいの支出をしてきた。いつまでも「仕事が忙しい」からと弁護士さんからの要求を無視し続け、さらには領収書のない使途不明金もあるのに「遺産分割協議書」の内容を見てから考えますと言ったらしい。

人として父親の一回忌までにはなんらかの回答をして欲しいものだが、どうなることやら。我々はそんな弟家族がいる田舎には帰る気もないし、むしろ偶然にでも会いたくないから意義があるのなら自分で費用を払って進めて欲しい。弟家族にはこの1年1円の負担もなかったのだから、これから世間を知れば良い。

我々も母も、弁護士さんまでも(笑)「一抜けた」状態である事を気づかないのだろうか?本当に困ったものだ。

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by groupf | 2021-10-20 21:06 | 日記 | Trackback | Comments(0)

遠距離から実家の両親への恩を思う家族の記録。


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